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読書感想など

【小説】大怪獣記/北野勇作

商店街を歩けば、お惣菜屋さんや豆腐屋さん、金物屋さん、八百屋さん、魚屋さんなどがずらっと並んでいる。
漠然とした商店街のイメージがそれだ。私の田舎には商店街というものがない。あるにはあるが、ないに等しいシャッター街だ。個人店が一箇所に集まっているという事がなく、あちらこちらに散らばっている。それぞれ行くにも面倒だからスーパーに行ってしまう。
 
なんとなくの商店街のイメージしか持っていないのにもかかわらず、ニュースなどで商店街特集をやっていると、何故か懐かしい気持になる。これは嘘のノスタルジックだ。それにも関わらず浸っている。
 
散歩するのが好きなので、行き先をなんとなく決めて裏道を通っているといつの間にか商店街に出る事がある。活気がある商店街もあれば、閑散としてる商店街もある。そのどちらも好きだが、お店に寄る事がない。「どうせ二度と来る事もないだろう」と切り込めば良いのだが、二の足を踏んでしまい、コミュニケーションをとる事ができない。そして通り過ぎていく。
商店街のベタさにどこか羨望している自分がいる。それは商店街以外にも、年末年始のお参りにも当てはまる。(げんしけん成田山のエピソードがとても好きなのだが実行には至らず)ただ、創作物と実際は異なるので、あんな雰囲気は楽しめないだろうな、と最初から決め付けている。それでも憧れや羨望を捨てきれず、捨てない事を楽しんでいる。
 
『大怪獣記』を読了。
ああ、懐かしい。自分の中で作り上げている嘘のノスタルジックが満たされていく。私はかつてこんな場所にいたのかもしれないと錯覚を起こす。甘酒を飲みたくなるが、口にしたのは一度だけで美味しかった記憶もまずかった記憶もない。北野勇作さんの肩の力が抜けた大人の余裕のある小説は心地が良い。
 
《内容紹介》
ある日、作家である私は、見知らぬ映画監督から「映画の小説化」を依頼される。
茶店で渡された企画書には「大怪獣記」というタイトルが大きく書かれていた。
物語の舞台はこの町と周辺、そして、実際の撮影もここで行うということで、
協力を仰ぐ商店街の名前や町内会なども記されていた。
私の代表作は亀シリーズで、「亀伝」「電気亀伝」「天六亀」。
その他には「メダカマン」「ヒメダカマン」「タニシ氏の生活」「ジャンボタニシ氏の日常」などがある。
その映画監督は、そんな私の著作を「あなたの作品にはね、怪獣に対する愛がある。
いや、もちろん怪獣そのものは出てこない。 でもね、それはあれなんだな、愛なんだ。愛するが故に出せない」と褒めてくれた。
当初映画のノベライズかと思っていたが、そうではなく「映画の小説化」だという。
途中までできているシナリオをを受取るために連れられて行った豆腐屋で、私は恐ろしい体験をする……。
 

 

 

【小説】猫の文学館I: 世界は今、猫のものになる

犬派と猫派ではどちら、という質問に対しては「どちらも」としか回答のしようがない。優柔不断とかそういった事ではなく、子どもの頃に両者ともに生活をしていたからだ。(飼っていた、という言い方にどこか引っかかるので、生活していたなどと言ってみる)犬は中学生の頃に老衰でこの世を去った。猫は田舎のせいか近所に何匹もいたり、家族が引き取ってくるなどして絶えることがなかった。
一人暮らしをする様になってからは、自分を養うのに精一杯なので動物と一緒に住むことはない。犬だろうが、猫だろうが、その他の動物だろうが、自分一人となると家にいない時間が長いので、その間世話ができない。トイレを用意してご飯を多く出しておけばいいのかもしれないが、どうにもしっくりこない。
ここから先は犬の話はありません。
猫に会えるのは年に数回実家に帰る時だ。自分の知らない新しい猫もいれば、実家にいた時から住んでいるベテラン勢もいる。擬人化して「よく帰ってきたねえ」「え、あんた誰。知らない人」などとセリフを勝手にアフレコしてもいいが、久しぶりに帰っても何のリアクションもなければ歓迎してる様子もない。ただ、腹が減った時に足元に寄ってきて、ニャーニャー鳴いてくる。(歳を取っているのでどちらかといえば、濁音の入ったニャーニャーだ)缶詰なり、お菓子(一般的な愛猫家たちはカリカリと言っている)なりを出してあげれば、すぐに食べる猫もいれば、一切口にしない猫もいる。ああ、そういえば少し高級なお菓子の方がいいのねとすぐに思い出す。彼らからすれば私は、鳴けばご飯を出してくれる人程度の扱いである。それは実家を出る前から変わらない。一人暮らしで私がしばらく姿を現さずともその地位は不動となっている。その温度差が丁度いい猫との付き合い方なのかもしれない。
 
『猫の文学館I: 世界は今、猫のものになる』を読了。
古典から現代までの猫にまつわる短編・エッセイ・短歌などを集めたアンソロジー
猫は不変で普遍的な生物であり、残酷な事をして、残酷な事をされる。ただ可愛く美しいだけが猫の魅力ではない。
 
《商品紹介》
大佛次郎寺田寅彦太宰治鴨居羊子向田邦子村上春樹…いつの時代も、日本の作家たちはみんな猫が大好きだった。そして、猫から大いにインスピレーションを得ていた。歌舞伎座に住みついた猫、風呂敷に包まれて川に流される猫、陽だまりの中で背中を丸めて眠りこんでいる猫、飼い主の足もとに顔をすりつける猫、昨日も今日もノラちゃんとデートに余念のない猫などなど、ページを開くとそこはさまざまな猫たちの大行進。猫のきまぐれにいつも振り回されている、猫好きにささげる47編!!
 

 

猫の文学館I: 世界は今、猫のものになる (ちくま文庫)

猫の文学館I: 世界は今、猫のものになる (ちくま文庫)

 

 

【小説】世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹

2016/1/1読了
 
年が開ける前の30、31、そして1/1で読み終えた。
忘れているシーンが多く何度も読んでいるにもかかわらず新鮮な気持ちで読んでいた。そして読み直している時に気がついたことがあった。2つのパートは並行して進んでいると思っていたが、「ハードボイルド」の章で眠ってしまった僕(主人公)が行き着いた先が「世界の終わり」の章ではないだろうか。

 

前半の冒険・探偵パートも好きではあるが、一番好きなのは自分の死(心の中で生きる)を知ったあとで、今まで気にもしなかった事を知り、その事に喜びを感じるシーン。
 
かたつむり、クリーニング店の店主、植木、レンタカー、タクシー、音楽、服。
普段通り過ぎていく街の細部を知る事で、今まで自分は世界についても何も知らなかった事に気がつく。カウントダウンは止める手段はない。今更になってこの世界を慈しみはじめたが、それには遅すぎた。
遠くを見るだけでは手に入らないものが沢山ある。それはいつでも身近にあって、気がつく事ができるのは僅かな人間。
 
一つの風、一つの木、一つの雨。
実体としてそこにあるものと自分の内側を繋げる事が出来るか否か。それが問題ではあるが、実際にはそんな些細な事に気がつかなくでも人生を歩む事はできる。ただ自分はその細部に気がついて、愛でていきたい。
 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)