仮想現実空間の迷宮へ『明日と明日』/トマス・スウェターリッチ
あらすじ
テロによってピッツバーグが<終末>を迎えてから10年。仮想現実空間上の街<アーカイヴ>の保険調査に従事する主人公ドミニク。
彼は亡くなった妻への思い出に浸っていた日々の中で、ある調査対象の女性のアーカイブ映像が改竄がされている事を発見した事から過去と現在の邪悪へと足を踏み入れてしまった。
体内に埋め込まれるウェアラブル
近年、Apple WatchやGoogleグラスの様に身につけて持ち歩くことができる「ウェアラブル」が一般的に広まってきたと思います。本書でも<アドウェア>と呼ばれるウェアラブルに近い端末が登場します。
<アドウェア>は体内に埋め込む事で脳とOSが直結をしてパソコンやスマホを使わなくても体一つでネットサーフィンをしたりプロフィールを設定してTwitterやFacebookといったSNSに紐ずける事も出きます。持ち歩くというよりも身体の一部になっているのです。
読んでると「なんだか便利だな」と思ってしまうのですが、ネットをやっていると必ずバナーやポップといった広告が表示されると思います。作中でも同じ様に空中に広告ポップがひしめき合っているのです。
『アメリカを買い、アメリカを潰し、アメリカを売った!』
『こちらはCNNです』
『リアーナの乳首ポロリとパンチラ』
『ここをクリック』
『ニューヨークで女性が地下鉄線路に落とされた未加工映像。ここをクリック』
これが常に目の前に現れるのはちょっと勘弁。
体験する過去としての仮想現実空間
もう一つの特徴的なテクノロジーは<アーカイヴ>と呼ばれる仮想現実空間です。
<アーカイヴ>は監視カメラ、防犯カメラ、網膜カメラなどの映像を切り張りして、それを<アドウェア>を通じて体験が出来る仮想現実空間(VR)です。ドミニクはそれを利用して仕事上の調査に加えテロで亡くなった妻に会いに行っています。
亡くなった人間の思い出は自分の脳にしかない。しかし<アーカイヴ>によりあの日あの時の出来事を再現する。それは決して変えることのできない過去で既に終わってしまったことですが、ドミニクは妻の<アーカイヴ>を繰り返し繰し体験している。かつて妻と歩いた歩道、よく通ったカフェでの食事風景、自宅アパートの細かい描写から妻の匂いや柔らかな肌の感触を現実と錯覚させるために繰り返しドラッグを多用するドミニクに想いを重ねるとどうしても涙腺がゆるくなる。それが現実ではないとしても。
”テレサにキスをしてみるが、触れた瞬間テレサではないと実感する。政策を依頼した仮想彫刻以外の何物でもない。
(中略)
この身体の感触は妻に近いが、妻ではない。少し違う。妻に似た別の女性を抱きしめながら妻に空想しているのに近い。”
それをドミニクは10年にわたり繰り返している。
彼女の幻影を追いかけるシーンは盲目的で深い悲しみが重くのしかかります。
テクノロジーの面白さもありますが、ストーリーの中心は女性をめぐる調査になります。ある女性の死について調査を進める先々で様々な障害が発生しますが、ドミニクは病的なまでにその事案に対してのめり込んでいきます。<アーカイブ>は過去の事です。その過去を暴かれる事で少なからず得しない人間が存在していますがドミニクは歩みを止めません。その姿に「もういいじゃないか」と思ってししまうのですが、脳内に走るチラつきが病みつきになります。
おわりに
SF小説を読んでいると、作品独自のテクノロジーを紹介しつつ、語り手の自己についての情報を読者に伝える難しさをいつも感じます。ウィリアム・ギブソンは読者に理解させるという工程をすっ飛ばして描写を繋いていきますが、本書では具体的な仕組みなどの詳細な説明はないものの読み進めていくと<アーカイブ>や<アドウェア>がどの様な効果をもたらしているのか体験する事で理解ができます。難しい理論をこねくり回しているハードなものではなく、ハードボイルドや推理のエッセンスもある読んでいてドキドキするシーンが多いです。なので前提条件としてSF好きではなくても面白いので是非お勧めします。
また、テロによって崩壊したピッツバーグは放射能汚染が進み立ち入り禁止している点や多くの方が亡くなったことを考えると私は3.11を必然的に思い出してしまいました。もし<アーカイヴ>の仕組みが現在にもあるならば多くの人はそれを利用してしまうのでは、とフィクションの話を現実と結びつけるのは如何なものかという意見もあるかもしれませんが、あの日を体験した人は想起してしまうのではないでしょうか。