Page×3

読書感想など

現実に向き合うために『ヘヴン』/川上未映子

f:id:dazzle223:20151113012219p:plain

 
いじめを受ける二人の中学生の男女。彼ら互いを仲間と呼び合い、手紙による交流を深めていく。
 

根源的な悪とはなんなのか?

いじめを題材にした物語では『隣人51号』などいじめた相手に対して復讐を行う、カタルシスの崩壊を描く作品が多いイメージがある。気持ちとしてはいじめられる側の心理を理解して、いじめ相手を憎く思い、できる事ならばひどい目にあって欲しいと思ってしまう。
 
しかしながら『ヘヴン』では、ただそこにある”悪”を描き、主人公はそれを受ける被害者としての自分自身の存在や同じくいじめを受けるコジマという少女ついて考える。個人の世界は誰かに犯されるべき領域ではない。それにも関わらず主人公は他人に犯され、徐々に形を歪められる事でいじめという行為そのものを受け入れてしまう。
本書に出てくる中学生の言い分では中学生とは思えぬ発言ばかりだ。現実の中学生がこれほどまで冷静に言葉を選び、自分なりの世界や道理を組み立てる事はまず難しいと思う(実体験でしかないがこのように人間はいなかった)
個人的には「小説内では小説内でしか通じない物事がある」という考えを持っているので中学生離れした発言でも違和感なく受け入れる事ができる。また、いじめ相手はあくまで現実ではない”悪”の機能を持った登場人物として主人公の考えと対立を図るための役割となっている。
 
『ヘヴン』は「いじめはいけない事です。みんな仲良くしましょう」といった教育的な小説ではない。
いじめという物事をただ表面的に捉える事と、表面から地続きに本質や内面につながる事を捉える事は同じようで違う。『ヘヴン』は日常の言葉で善悪を語り、その地続きの先を描いている。
 

小説の結末の先を考える

主人公は自分とは違う考えを持ついじめ相手の発言によって、自分の考えに矛盾を持ち思い悩む。ある点では反対で、ある点では同意もできてしまう。主人公は最後まで明確な答えを出す事が出来なかった。
川上未映子という作家は小説内でいくつもの問いを出している。その答えというのは読者自身が個人で悩みぬいて答えを出すもの。それを出すまでに時間もかかるし、矛盾する考えをずっと反芻する事で自らの答えを出す。その問いの答えは読書側の受け取り方や、経験、世代や趣味趣向によって千差万別にだろう。
川上未映子という作家は人の心の奥の目をそらしたくなる部分まで見せようとする。それにより問いを提示して現実に目を向けさせようとしたのかもしれない。
 

 

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)