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読書感想など

生命賛歌に満ちた近未来の日本『あるいは修羅の十億年』/古川日出男

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古川日出男さんの新刊は『想像ラジオ』『ムーンナイト・ダイバー』『バカラ』などの作品と同じように震災をテーマにした小説『あるいは修羅の十億年』です。
 
2026年の近未来日本を舞台に “島”と呼ばれる土地と東京、フランスと複数の人間の視点から語られる。ロボット少女が鯨と東京の物語を作り、馬とカウボーイは島にいる、森には茸が胞子を飛ばしている。そして人は…
 

古川日出男スタイル

古川日出男さんの文体や構成、話の進め方は独特な形をとっている。
悪い言い方をすればとっつきにくとも言える。
子供のような無邪気に、動物のように剥き出しに、理性ある人間のように理路整然とした描写など様々な文体のミックスに圧倒される。集中して読み進めると口語体の文体が途切れることなく大量に流し込まれていく。黙読なれど息継ぎもできない。坂道を転がっていくように足を止めようにも止めることができずに最高潮に達する危うさにどっぷりとはまってしまう。
 
古川日出男さんは他の小説家がそぎ落としそうな箇所をそのまま出してくるのでとても”生”って感じがする。
 

▼ストーリーは無軌道に奇天烈に

ストーリーを話そうとするととても難しい。
キーワードを拾い上げるならば、「メキシコ人とロボット少女と巨大鯨」「カウボーイと馬」「森とキノコ」。
確かに一人一人のバックグラウンドがあり行動もしている。ただそれがどこに向かっているのか、その無軌道で奇天烈な動きを読むことができない。覆い隠されているヴェールを一つ一つ掻き分けながら翻弄されながら読み進める。
 
本書は長編ではあるが、読み方によっては一章ごとに独立した短編としても読めてしまう。
もちろん個々の人物の物語は繋がっているが、その間と間は説明のされない空白が詰まっている。
そのため散文的に見えてしまうと思う。構成が起承転結を時系列を繋げる小説とは異なっているが、読者がその空白を埋め合わせるように想像を掻き立てる。キーワードを1つ1つ拾い上げ、磨いて、関連付けていく。人によって解釈の仕方が変わっていくのではなかろうか。
 
始まりから終わりまで作者が書き進める通りに完結する作品がもちろん優秀なのだが、空白部分を埋める様に作者が書き上げた作品をさらに読者が頭をこねくり回している感覚にある種の一体感があり流動している。内で完結するのではなくその外に影響が広まっていく。
 
近未来を舞台にしているのでSF的な技術が登場したり、オリンピック後の日本まで描いてる。
リアルタイムのこの現在現実。荒唐無稽でありながらその延長線上にはもしかしたらあり得るのかもしれないと思ってしまうほどの現実感がある。
 

▼雑文

正直に言えば上記の文では『あるいは修羅の十億年』の魅了をあまり語っていない。
そしてまだこの物語がなんなのか考えている。
もしかしたらこの小説は「怒り」なのだろうか。答えがあるのかすらわからない。
 
 
もし書店で見かけたら最初の数ページの短い章を読んでみてください。
そこにグッときたり、想像力を掻き立てられたらあなたなりの答えを教えて欲しい。
 
 

 

あるいは修羅の十億年

あるいは修羅の十億年