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読書感想など

のび太的な近未来『キルン・ピープル/デイヴィッド・ブリン』

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自分のコピーを作り、そのコピーが自分の代わりに色々なことをしてくれる。その間自分はゲームをしたり遊んでいたい。
そんなのび太的な怠け思考を現実にしてしまった近未来のアメリカが舞台の『キルン・ピープル』
 

複製に溢れた世界

タイトルにもなっている「キルン」とは窯を意味している。
複製は人間のように肉の肉体ではなく工場から出荷した状態の人形。原型となる人間の思考をコピーし、それを家庭用の窯で加熱することで複製を完成させる。それほど簡単にコピーを作成することができる。しかも複数可能。
 

複製を作る理由

それはもちろん自分が楽をするためだ。
仕事を代わりにやってもらう複製を作り、子供の面倒を見てもらう複製を作り、買い物などの雑事をするコピーを作る。
友人と遊ぶのも複製だ。恋人との性交だって複製にさせる。
 
そして自分ができないことを体験されるためだ。
危険なアクティビティを複製に体験させる、複製同士を戦わせる、初めてあった人と性交させる(またか)。
などなどモラルに反する行為をさせる。
 
体験させたあとはどうするかと言えば、記憶の統合だ。それにより複製が体験した記憶を体験せずに得ることができる。
逆を言えば記憶を統合させない限り、複製がその日一日何をしていたのか分からない。
危険なことをさせすぎて複製が壊れてしまったらせっかくの体験の記憶を得ることができない。
 

複製の特徴

不気味の谷を超えた複製は、人間そっくりのため本物の人間と見分けがつかない。
そのため肌の色をイエロー、グリーン、レッド等という人肌にはない色で染色し、見分けている。
色によってもスペックが異なり、主人公モリスの場合はグレイを調査用、グリーンを雑用、レッドを情報調査と使い分けをしている。
高価な複製になれば様々な機能が組み込まれており、肌の色も人間に寄せている。
 

複製に意識はあるのか

小説は原型と複製の視点が章ごとに変わることで、同じ出来事を別の視点から語られる。もしロボットの視点であればあったことをそのままレポートのように描写するだろう。
 
しかし複製はロボットとは異なり意識を持っている。
「なぜこんなことをしないといけないのか」「今日は仕事をほっぽりだしてビーチに行こう」などと自分自身で考えて行動をしている。その様子は人間そのもの。
 
その「人間そのもの」であるが故に、複製に魂があるのか? と議論されている。
それ故に、
『たった一日の生命のために酷使させるのはおかしい』と複製自体を非難する団体や、
『複製にも人と同じ権利を求める』という団体が抗議活動を続けている。
 
 

本作の主人公の職業は探偵

長々と複製の説明になってしまったが、肝心の本作の主人公は探偵である。名はモリス。
彼は事件のレベルによって機能別に複製をつくりそれぞれ担当させる。
普通の探偵ならば別々に依頼を受け、別々に時間を設け調査をするが、複製を何体も作れば同時進行で事件調査を進める事が出来る。
時には複製Aと複製Bの依頼元がライバル会社の場合もある。その場合、複製同士が競い合う事にある。
そんな事も知らず原型はベットで寝て過ごす。複製が事件解決したら記憶を併合すれば良い。
 
ハードボイルドなSF小説が読みたい方におすすめです。

人類皆異常であり正常である『異常探偵 宇宙船/前田 司郎』

 

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「○○探偵○○」というタイトルの小説や漫画があれば、それは探偵の特徴と名前を示している。タイトルからして出落ち感があるが、キャッチーなものほど手に取ってみたくなる。
「異常探偵 宇宙船」その名の通り、異常な探偵であり、名前が宇宙船という。
 
どの様に異常なのかと言えば、年がら年中、頭巾を被っている。そうあかずきんちゃんの頭巾だ。パートのレジ打ちの時にも外すことがない。
言い忘れていたが宇宙船は主婦だ。夫もいる。ただし本物の夫は善良な宇宙人に連れ去られてしまった。いま一緒に住んでいるのはそっくりな別人だ。
さて、探偵と言えば鋭い洞察とひらめきで犯人を突き止めたりトリックを暴いたりするものだ。宇宙船と言えば、宇宙からの声を聞いて事件を解決する。頭巾を被っているのは、被っていないと様々な声が聞こえてしまうからである。
 
が、しかし宇宙船自身が、自分のことを「異常探偵」とは言わない。彼女の姿や言動を見て、他者が「異常」だと決めつけているのである。
宇宙船からすれば、宇宙人はいる。誘拐された家族を助けたい。頭の中で自分だけにしか聞こえない声が聞こえる。すべてが「正常」なのだ。
しかしはじめから異常では無かった宇宙船はすべて自分の生み出している妄想なのでは、と揺れ動かされる。
 
宇宙船をはじめとする面々はみなマイノリティ側の人間である。作者の前田司郎氏はファッションとして異常を扱うのではなく、人間としての葛藤や苦しみを抱えている彼らに真摯に向き合っている。
 

 

異常探偵 宇宙船 (単行本)

異常探偵 宇宙船 (単行本)

 

 

羊をめぐる再冒険を経て『羊をめぐる冒険/村上春樹』

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年に何回しか更新しないこのブログも少なからず毎日のようにアクセスがある。その大半は三年前に公開をした村上春樹の青春三部作について書いた以下の記事だ。
今読んでみると自分に事ながら、よくこんなにも長文を書いたもんだと驚いている。
 
今回、三年ぶりに『羊をめぐる冒険』を再読した。幾つかのキーワードは覚えていたが、ほとんどのことを忘れていたので楽しんで読むことが出来た。そして、以前とは全く違う解釈をするようになっていた。
 
以下、『僕』と記載あるものは筆者ではなく、本小説の主人公のことを指します。
 

イマジナリーフレンド

 
小説の大半は僕の視点から語られる。そのため感じたこと、心理状況、村上春樹的な独特な修飾語はすべて僕が語っていることになる。
 
本小説の中で、村上春樹的な修飾語を使う人間は二人居る。僕と鼠である。鼠から僕へと送った手紙の中で
 
平べったい黒い鳥が頭の上でばたばたやってるみたいで
 
と書いている。
 
鼠と親しかった女とコンタクトを取るために僕の外見を伝えようとすると「見当がつくわ」と話を遮られ、実際に迷うことなく背後から声をかけられる。初めて会う相手の外見を知らずに声をかけることが出来るだろうか。
 
「それで、すぐにわかりました?」
「すぐにわかったわ」と彼女は言った。

 

このことから今回、僕と鼠は同一人物説という解釈で読み進めた。要はファイトクラブだ。
 

更に増えるイマジナリーフレンド

ひょんな事から羊と鼠を探すためにガールフレンドと一緒に北海道へ向かった僕。道中、二人で車に乗せてもらうシーンで、
 
管理人は彼女の存在にはじめて気がついたみたいに、ハンドルに手を置いたままぐるりとこちらを向き、彼女の顔を食い入るように眺めた。

 

 
鼠を探しに別荘に訪れた僕。ある日羊の着ぐるみを来た男、羊男がやって来る。
羊男はガールフレンドをこの地から追いやり、二度と会えなくなった。
そして羊男が映るはずの鏡をのぞくと、
 
僕は鏡の中の羊男の姿を確かめてみた。しかし羊男の姿は鏡の中にはなかった。誰もいないがらんとした居間に、ソファー・セットが並んでいるだけだった。
 
僕=鼠説は上記で記載したが、その鼠は、
 
「そうだよ」と鼠は静かに言った。「俺は死んだよ」
 
 

2018年の解釈

主人公はひいき目に見ても一般社会になじめない人間だ。そんな彼が自己の精神安定のために様々な人間を作りだしロールプレイングしている。
 
1,十代の僕は鼠という自分と似た架空の男を作り出した。ジェイ(行きつけのバーの店長)は二人を相手にしているのではなく、一人二役をしている僕の相手をしていた。
 
2,妻はそんな僕を愛しているが、僕と鼠行き来する生活に耐えられなくなり別れる。
 
3,僕は妻を失ったことから、実在するモデルからインスピレーションを受け、ガールフレンドを作り出す。
 
4,羊男は僕の中の純真さと潔白さ弱さから生み出されたもの。一人っきりで自己と向き合わせるためガールフレンドを消した。
 
5,最初のイマジナリーフレンド鼠は死んだ。
 
ファイトクラブ方式で言えば、タイラーが死ぬと主人公と一体となり、新たな人格が生み出された(私は映画のラストをそのように解釈している)。
それと同じようにガールフレンドは消えた、鼠は死んだ。しかし僕の中にはたしかに残っている。通り過ぎたのではなく一体になったのだ。
 
霊的な話でも、マジックリアリズムでもなく、まるで映画トゥルーマンショーの様に僕以外の人間が作り物の世界だと知っている。その中で一人の男のために世界が治療を施している印象を受けた。
 

百通りの解釈

10月のはじめから、そのような先入観の中で読み進めた。ただ、矛盾だらけである。しかしながらこの読み方をして一定の満足感と話の繋げ方に納得をしている。
 
ハードボイルド、ミステリー、ホラー、オカルト、恋愛、友情、喪失、孤独と様々な読み方があり、解釈の仕方は読んだ人それぞれになるだろう。
 問:このときの筆者の気持ちを答えよ。という問題を出されても、あれもこれも間違ってもいるし、正解でもある。それほどまで柔軟性のある小説だが、「で、一体何が言いたいの?」と自分で考えられず、決まった答えを求めてしまう人には向かないだろう。
 
絶望の物語だと思っていた『羊をめぐる冒険』だっただ、たった三年で、自己否定をし続けた男が現実を見ようとし始めた自己再生の物語として読むことが出来た。
 
以上をもって羊をめぐる再冒険を終える。
数年後に読んだらまた変わるのだろうか。
 

 

羊をめぐる冒険

羊をめぐる冒険