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読書感想など

【PS4】DEATH STRANDING クリア

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昨年発売された本作を一年越しにクリア。発売当時は小島監督作品として注目はしていたものの、ゲームの内容が謎であったため予約をしなかった。しかし気になってしまいゲーム配信を見てしまった。

そこには、現代の様な高いたビル群や家屋などは見られず生の自然が広がっている。

そこをプレイヤーが操作するサム・ブリッジズという男が歩いている。BGMもなく聞こえるのは歩く音とサムの息と独り言。

たったの数分だけだったが、これは買わねば!と思い立った。

ゲームを始めてまず驚いたのは操作のし難さだ。

荷物を背負った状態で整備されていない岩場を歩いていると直ぐに転びそうになる。そのたびにR2とL2でバランスを取らないといけない。左スティックで移動をするので微妙な力加減で、つい押しすぎてしまうと崖から落ちそうになる。ファーストインプレッションとしてはとてもやりにくいと思ってしまった。

ゲームをクリアして思い返すと、あの微妙な力加減やバランスの取り方、転ばないようなルート選びなどといった体験によって主人公サム=自分という一体感が生まれる。

(これはヘビー・レインとも似ている。あのゲームも冷蔵庫を開けるなど面倒くさい操作によって自分が主人公になっていく感覚に陥っていく。)

ゲーム序盤にBBと呼ばれる赤ちゃん型の装備品を手に入れ、おんぶひもの様に自分の胸の前で赤子を抱くようにしてゲームを進める。ゲーム進行上BBは必須になるのだが、装備品としてではなく赤ちゃんとしてサムがBBに感情移入する。それはプレーヤーも同じで、BBが出来るだけ泣かないように行動をする。

無理に川を渡らない、転ばない様にルートを考える、BTと呼ばれる敵を出来るだけ避けるなどなど。もし泣き出したら荷物運びをいったん止めてBBをあやすのだが、自動的にサムがあやすのではなく、プレーヤー自身がコントローラーをゆっくりと揺らす事で泣き止ませるのだ。泣き止ませるために速く揺らしても効果が無い。

敵との戦いといった戦闘があるものの、メインのゲームは荷物運びだ。

人から人へ荷物を運ぶ、時には落ちている荷物を拾って届けてあげる。

平地、山道、岩場、雪山、川、渓谷、と人工物がない自然のフィールドをBBと一緒にひたすら荷物を背負って体力を削って運ぶ。

歩きやすいが遠回りをするか、敵はいるが最短ルートを目指すか決められたルートはなく自分で考えて歩く。ずっと歩いているとサムも疲れてくるので、時折腕をぷらぷらしながら「あー、肩いてえ」みたいな動きをする。

同じようなゲームがあるのもしれないが、感心したのは坂道を上るときと、下るときのスピードが同じでではないことだ。

上るときは重い荷物を持ってゆっくりと上るが、下るときは転ばないようにブレーキをかけながら下っていく。急な停止も方向転換も難しい。(したら転ぶ)

今までのゲームならば、どの道でも角度でもスピードは一定でキャラは進むが、デスストは自分が重い荷物を運んでいるという感覚に陥らせるためのテクニックが多々見られる。

ただそのリアル感が疎ましいと想うのも理解できる。

ゲームの目的は先に書いたように荷物を運ぶことだ。

運びつつ各拠点にネットワークを繋げていく事で、新たなミッションや武器や装備品を得る頃が出来る。それによって荷物運びが(ある程度)楽になっていく。

ゲームプレイが楽になっていく以上に荷物を運びたくなる理由がある。それは人々の声だ。

「ありがとう」

「あなたのおかげでやっていける」

「こんなにも多くを一人で、、、すごいな」などなど

最初は疎ましく思われていても回数を重ねると心を開いてくれる。ゲーム内でこれほどまでにお礼を言われたことが無い。

お礼を言われたいから荷物を運ぶのではなく、あの人に会いたい、運んであげたいと思ってしまう。

敵との戦いや、荷物の奪取といった娯楽に富んだエンタメ要素はもちろん楽しい。

その一方、道を歩く、河を渡る、岩山を登る、雨に打たれる、人によっては苦行ともとれる時間は「俺はいったい何をやっているのだろうか」と思ってします。しかしある段階を過ぎると『ただ歩く』という空白の時間を求めてしまう。

数年前、写真を撮るために都内を目的もなく歩いた。

スマホはマップを見るときくらいで、あとは歩いて写真を撮っての繰り返し。

その時の気持ちを彷彿とさせてくれた。

サムと同じ様に凝りをほぐす為に肩を回したり、足をもんだりしてまた歩き続けた。

まだまだミッションは残っていたがストーリーだけでも、と先週時間を作ってクリアをした。

正直、人を選ぶゲームだと思うが私個人は他では味わったことのない体験が出来て満足のいく作品でした。